日本語に訳せないのか

「マーケティング」という言葉は、ビジネスシーンにおいてごく当たり前のように使われています。しかし、考えてみると不思議なことに、他の多くのビジネス用語が日本語に翻訳されている中で、この「マーケティング」だけは、いまだにそのままカタカナで使われ続けています。これは単なる言葉の慣習なのでしょうか。あるいは、「日本にとってマーケティングが外から来たもののままで、本質的に浸透していない」という、より深い意味を物語っているのかもしれません。

この問題意識は、日本の企業文化やビジネス戦略の根幹に関わる重要な問いかけと言えます。自分もそんなことに気がつきませんでした。マーケティングの意味を表す日本語がないことに今さら気がついたのです。今回は、言葉が持つ意味や背景を掘り下げています。

「市場を創る」を表現できない

なぜ「マーケティング」は日本語に訳されにくいのでしょうか。その理由の一つに、この言葉が持つ広範な意味合いと、それに合致する適切な日本語を見つけることの難しさがあります。たとえば、「市場調査」や「広告宣伝」といった個別の活動は日本語で表現できますが、「マーケティング」が指すのは、これらの活動の全体です。活動を統合し、最終的に「市場を創造する」という一連のプロセス全体なのです。広い領域をあらわす言葉だと認識できます。

この「市場を創造する」という概念は、日本の伝統的な商習慣とは異なる考え方だ、という意見もあります。既存の市場でいかに効率よく売るか、という発想が強かった日本において、能動的に市場そのものを作り出すという概念は、なかったのかもしれません。ルールは守るのが日本の特徴であり、ルールを作る発想がないのと同じです。

思考と文化への影響

「マーケティング」が日本語に訳されずにカタカナのまま使われ続けていることは、単なる言葉の問題に留まりません。それは、マーケティングという概念が、日本のビジネスにおける思考様式や文化に、まだ完全に根付いていない可能性を示唆しています。外来語としてそのまま受け入れられたことで、あいまいなまま理解している人も多いのではないでしょうか。

本来マーケティングは、顧客の視点に立ち、価値を創造し、その価値を届ける一連の活動。しかし、日本語として定着しないことで、企業活動においてその重要性が十分に認識されなかったり、あるいは単なる宣伝活動として誤解されたりするケースも少なくないと感じます。

まとめ

「マーケティング」が日本語に訳されないという事象は、日本においてこの概念がまだ「外から来たもの」としての側面が強いといえるのではないでしょうか。日本のビジネス文化に深く浸透しきれていない可能性を物語っているともいえるでしょう。マーケティングの本質を理解していくことが、変化の激しい現代社会で競争力を高めていく上で不可欠だと感じます。

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