ちょっと苦痛
いつからか、「あなたの夢を語ってください」と依頼されることが増えました。夢を語ることで、その人の本質を見抜くようになったのです。何年前からでしょうか。「夢」がクローズアップされ始めたのは。大人だけでなくこどももそんな状況を感じているようです。たとえば、次のような投げかけがあるようです。
- 「あなたの夢を教えてください」
- 「10年後どうなっていたいですか」
このような投げかけが続くと人は次のように感じてきます。
- 「夢を持つことを強制されている」
と思うのです。
自然な流れで夢を持つことは自主的な思考なので問題ありません。しかし、将来のことを漠然と考えているときに「具体的に語ってほしい」と言われても表現できない。なので苦痛なのです。苦痛のレベルはさまざまですが、「表現が見当たらない」と感じる程度が多いのではないでしょうか。
それ以前は
ちょっと振り返ってみたいのは、夢を語る以前の時代のこと。その前は夢ではなく、何で判断していたのでしょうか。思い出してみると、それ以前は「行動結果」を見られていたと感じます。こうしたい、と思っていることを行動で表現していたのです。それが、スピード社会になったためか、「夢を語る」ことで表現されるようになったと考えています。
マイナス的に進むと
夢を語ることが少しの苦痛で済むならば、さほど問題ありません。しかし苦痛が大きくなると問題になってきます。たとえばこんな感じ。
- 「小学生のときに夢を具体的に決めるように強制されて以来、将来の夢という言葉が嫌い」
- 「夢が無いことがそんなにダメなのか」
- 「夢に囚われずに生きたい」
夢という言葉を聞くだけで嫌悪感が出る。夢がないことで罪悪感を感じる。夢から逃げたい、と思い始めるのです。
ハラスメントになるかも
度を越した要求はハラスメントになります。納得できる範囲であれば問題ありませんが、臨界点を越えたときは破裂します。脅迫に感じる人も出てくるのです。
- 大人や社会が「夢をもたせよう」とすることをハラスメント(虐待)と感じている
- 「夢を脅迫する社会」になった
まとめ
仕事において夢を持つこと、人生において夢を持つことは自然な流れで湧き出てくるのが理想です。無理に出すものでもありません。毎朝、頭に浮かんでくるのが本当になりたい自分です。最近も昔の自分に飽きている自分がいました。そうなれば、次に行く段階です。そのためにも自分の力は出し尽くすのを前提としなければなりません。全力を出したときほど次が見えてくるものです。
箇条書きはすべて、書籍「無理ゲー社会」より抜粋
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スキマ時間に読めるビジネスリーダーのための『経営情報Web Magazine ファースト・ジャッジ』fjコンサルタンツ藤原毅芳執筆