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~経営には優先順位がある~経営コンサルタント藤原毅芳執筆
何のために議論をしてる?
仕事の議論。
すべてが意味があるとは思えない。
会社の問題を議論しているのに、問題がだれの責任かの追求で
終わったり、過去までさかのぼって犯人さがしをしたり。
議論が終わってみたら、なんの進展もなかった。
そんな会議になってしまいます。
これ、時間の浪費。
コストの浪費でしかないのです。
議論の中で意味のないこと、避けたい議論、不必要な議論、
やらなくてもいい議論をはっきりさせたいと思います。
できないことを証明するために仕事をしているわけではない
「それ、できないはず」
「たぶん・・・・・ムリだね」
「意味がないよ」
「効果はあるの?」
といった会話がビジネスでは交わされている。
ほとんどが不要。
必要がないと考えています。
できないサイクルに入っている人との議論は意味がない。
時間のムダ。
できるだけ避けて通りたい。
わざわざ貴重な時間を使って「できないことを証明」する必要は
あるのだろうか。
そう考えてしまいます。
どの人にとっても仕事をしている時間は人生の中で貴重。
日中の8時間程度を投資しているわけです。
それなのに、わざわざできない理由を探す議論、できない根拠を
探す研究をする必要はあるのでしょうか。
ちなみに「できないことを証明する」ことは大変。
すべての場面において不可能なことを示さなければならないから。
そんなことより1回でもいいから成功する証明へと導くことのほうが
意味があると思います。
意味のあることをしたいです。
正しいことを証明するために仕事をしているわけではない
もうひとつ、時間の浪費だと思うのが議論のための議論。
自分の意見がいかに正しいかを証明する話し合いは浪費だと感じます。
たとえば
相手の言っていることは整合性がない。
以前はこう言っていたが、いまはこのように変わっている。
事実が捻じ曲げられているのだ、と主張する人がいるとします。
この場合、両者を呼んで事実確認したところで平行線になることが普通。
そのため長時間かける必要はない。
お互いどちらが正しいかは仕事の結果に意味がないときは
議論する必要はないと思います。
特に就業時間中にそのような時間を取るのはもったいない。
前任者がなにもしてくれない
「前任者が課題先送りしていたんです」
「だからわたしはまちがっていません」
と主張する人がいる場合も同様。
仕事なのに自分の正しさを証明することを優先しているのです。
そのために時間を費やしてしまう。
そんなことで人生が終わってもいいのでしょうか。
まとめ
仕事を極めることは時間を極めること。
そう言われていますが、こうした議論の時間に対しては
あまり追求されているのを見たことがありません。
意見を言っている、主張しているので遮ることは失礼だと感じてしまうから
途中で止める人はいない。
でも後から振り返れば意味のない時間だった、と気がついてしまう。
そうであるならば、こうした議論が発生したときは、その場から
離れてしまおう。
理由をつけて離席すること。
もしくは休憩を挟むこと。
そうでなければ、時間ドロボウに巻き込まれるだけ。
気をつけていきたい。